みなさまこんにちわ。生憎の雨模様です。
今週もよろしくお願いします。
本日も営業いたします。夕方5時30分にはお店を開けていますので
遊びに来てくださいね。
昨日に引き続き 新開清孝 JAZZ辛口コメントを楽しんでくださいね。
2 音を知ろう。
音を言葉で表現する事は難しい、一つの音には色々な使い方が有る。
どの楽器も音は一つだ。 音楽のジャンルによって音の使い方は変わる。
此処ではジャズに於ける音使いを考えて見ようと思う。
他のジャンルに関してはそのジャンルに居る方たちに任せる、私がトヤカク言う事ではない。
ジャズの音には一定の決まりが有る。
偉大なジャズプレイヤーの演奏を黙って聞いていると、皆この決まりの中で演奏している事が良く解る。
マイルスも、コルトレーンもシナトラ、トニー・ベネット、サラ・ボーン、ルイ・アームストロング、あのジュリー・ロンドンですら、
皆この決まりの中で音を出している。
彼らの中で打ち合わせた決まり事が有るとはとても思えないが、自然の流れの中で、歴史の結果としてジャズの音は、
演奏としては‘こうなのだ’と言うモノを感じる。
先ずピアノの音を考えて欲しい。 ポンと一つ何処でも良いので音を出してみると、自然に小さくなって音は消えてゆく。
シンセでも使わない限り、途中で決して大きくはならない。
つまり、音楽用語で言うところの‘クレッセンド’しない音。
これがジャズの音の大基本。
どんなに早い曲でも一つ一つの音はこの基本に添って、演奏されなければならない。
一度出した音をクレッセンドさせた時点でジャズではなくなる。
特にボーカル、短音楽器に顕著に現れる、どちらも簡単にクレッセンドさせる事が出来るからだ。
シャンソンや特に日本では民謡や演歌と言った土壌が有る。
どれもクレッセンドさせる技法を使う事の多いジャンルだ。
試しにジャズを演奏してクレッセンドを入れて見ると、テキメン、ジャズには聞えなく、とても陳腐なモノになる。
演奏してみよう、一発で解るだろう。
だが日本にはこの手の演奏をおこなうプレイヤーあまりにも多い、プロ、アマ関係無くだ。
残念だ、せっかくの技量も無駄遣い。
特にボーカリストに多い、曲はジャズを歌っているが、私の耳には演歌にしか聞こえない事が多い。
歌に訳の解らない感情が入る、歌い込んで曲に慣れれば慣れるほど、おかしな感情移入が起きる。
そうなるとクレッセンドどころでは無い、シャンソンや演歌調の節回しまで入って来る。
聞いていて気持ちが悪い。
音の響や技量も勿論必要で大切だ、それを得るために日々練習を行う。
だがその前に絶対に身に付けなければならないモノが有る。
ジャズとしての音を聞き分ける耳だ。 音を聞き分けられない者に、音の表現が出来る訳も無い。
マイルスでもシナトラでも良い、落ち着いて一つ一つの音を聞いてみれば、解って来る筈だ。